ブラジルはパンタナールに魅せられて、90歳目前の現在も元気にブラジルへと旅行されている草柳様から、体験記と素晴らしい写真をいただきました。
今月と来月の2カ月に渡って掲載させていただきます。

ブラジルの秘境
パンタナールを訪ねて-1

草柳 貞 著

ブラジル、パンタナールへの思い

 私は大東亜戦争でフィリピンの山岳地で戦い、大隊500余名のうち運良く生還した20数名のうちの1人です。戦後は農業から健康センター経営に転業。かたわら、趣味を生かし民謡師範の資格を取得し、13年前からブラジル民謡使節の一員として14回ほど渡伯しております。
 88歳の米寿を機に、戦前の成長の思い出や戦争体験、そして戦後ブラジル民謡使節として渡伯した体験などをまとめた自分史を綴りました。しかし、人生の大仕事を終えた安堵感を覚えながら、反面、今の日本は何かが狂っているという気持ちをぬぐい去れません。
 このような気持ちを抱いた原因は、私が幾度か渡伯しブラジル日系人が日本人より日本人らしいと感じたこと、自然破壊のない原始そのものの大地を見てきたからかもしれません。

 私がブラジルに深い関心を抱いている理由は2つあります。1つは民謡使節として日系ブラジルの方々と民謡文化を介して人間的な交流が生き甲斐になっていること。2つめは手つかずの大自然に接するときの感動や大きな河魚を釣り上げたときの感動です。この2つが私の渡伯の原動力となっているのです。

 しかし、多くの日本人はブラジルとは、サッカーが強い国、移民により日系人が多く住む未開発の国、秘境アマゾン川が流れている国、地球の反対側にあり、日本から一番遠い国といった程度の知識が一般的ではないでしょうか。  私が知るブラジルの豆知識はこちらで紹介するとして、南米大陸のほぼ真ん中にパンタナールという広大な平原があります。
パンタナールとは大湿原という意味。

 ブラジル、ボリビア、パラグアイの3国にまたがる世界最大の湿原で、日本の本州に匹敵する広さで、このうちの半分強がブラジル領です。北のカッセレスから南のポルトムルチンニョまで直線距離で約600km。この距離は東京から東北道の十和田辺りまでの距離にあたります。

 これほどの大湿原。しかし、この大湿原はアマゾンの一部として紹介される傾向があり、それ故にパンタナールを知る人は少なく、長年ブラジルに住み調査していた故中隅哲朗氏はパンタナールがアマゾンの一部とする見方を「鹿を差して馬というようなもの」だと異論を唱えていました。その根拠は、アマゾンの基本植生が典型的な熱帯降雨林で密生してるのに対し、パンタナールの植生は灌木林であり、河の縁にだけ森林が茂る回廊林であるという大きな違いがあるとしています。

 私はこのパンタナールに魅せられて、幾度となくブラジルへ足を運ぶことになったのです。
パンタナールの探訪
自分史が完成すると、またまた渡伯の熱い思いがこみ上げてきました。90歳を目前にする私は、体も心もいたって健康です。

 今回は民謡交流のスケジュールを最低限にしたパンタナール探訪が目的で、渡伯はこれで15回目になります。衰えない情熱を胸に私は、2000年7月末の30数度の灼熱の成田空港を発ったのです。到着したサンパウロは寒気の肌寒い初冬の気候でした。ブラジルを常夏の国と思っていた同乗のある旅行者はその温度の違いに驚いている様子でした。時差や気温の違いが体調のコントロールを狂わせるので、注意が必要です。

 サンパウロ市に着いた私はブラジル郷土民謡協会の授賞式に臨みました。これで、民謡交流のスケジュールは終了です。再びサンパウロ空港から中型の飛行機に乗り、カンポ・グランデ経由でクイアバ空港に降り立ちました。この間の所有時間は3時間強。クイアバはサンパウロから1700kmほど北上した(赤道に近づく)南米大陸のど真ん中。まさに大陸性の灼熱の地でした。空港から来るまで30分くらい走るとクイアバ市街です。同市は18世紀に奥地探検隊によって偶然に金が発見され発展した街で、北マット・グロッソ州の州都です。

 さて、クイアバに着いたからといって、そこが目的地ではないのです。さらにカッセレスまで200kmを車で走ります。この区間は舗装された直線道路でスピード制限がなく、暑さとスピードの出しすぎのせいで破損したするのか、路肩にたくさんのタイヤが放置されたままです。
 車窓の左右には広漠としたサバンナで、いたる所に背の低い木が生え林を焼いた跡と牧場が点在し、蟻塚やダチョウの姿も見かけます。やはりブラジルへ来たんだとしみじみと実感させられました。  思い起こせば、日本で行われる「武道館全国民謡大会」に出場するための「ブラジル郷土民謡協会」主催の民謡コンクール審査員として、師範に誘われ渡伯したのは13年前の1987年8月のことでした。以来、幾度この景色を眺めたことでしょうか。何度走っても初めてのような気がします。路傍の景色が年々変わってきているのかもしれません。

 2時間半ほど走り、カッセレスの町に到着しました。ボリビアに隣接し大湿原の最北端にあり、パラグアイ河上流のほとりにある小さな街です。近くのパラグアイ河に架かる鉄橋(太鼓橋)は雨期の増水に支障がないように盛り上がったように架橋され、町の風景の中でひときわ高く目立ちます。

 この橋の麓の河岸にたくさんの船が係留されています。ここで船に乗り換え河を下ります。河岸の森の種々の鳥たちを眺めながら、大型のボートは水しぶきをあげて猛スピードで走りますが、大型のカワウソやワニが群生している箇所では船を停止してくれます。
 時には河州に上がり巣作りの鳥たちの生態を観察しました。河岸には人家は見あたりません。シラサギ、コンゴーインコの群、けたたましい猿の咆哮を聞いていると別世界に入った気持ちになります。
 河の流れはゆったりとし、幅も広く赤色を帯び濁っています。その河を行き交う釣り人達の船が手を挙げて挨拶します。この時だけは通常の世界に戻った気分になりました。

 乗船して約2時間半ほどで目的のホテルに到着です。飛行機、自動車、船と乗り継ぎの連続で、部屋に着いたときは「バタンキュー」。パンタナール行きは何とも体力を消耗する行程です。
 旅行会社が手配してくれた「ホテル・バイアジーニャ」は、電力をカッセレスの町から引き、15部屋全室クーラー、冷蔵庫付きで屋外にプールがある近代的な瀟洒(しょうしゃ)なホテルで、至れり尽くせりのサービスに驚かされました 。
 今回も渡伯のいっさいの手続はウニベルツールにお任せしました。この会社は以前、パンタナールに「パランキンニョ・ホテル」を所有していたことがあり、私はそこを利用した経緯があります。このホテル管理人の北林夫妻に何かと親しくしていただいたことがありますが、当時は自家発電で、ホテルとは名ばかりの山小屋といった方が正解です。その後英国人のヒカールド氏が経営するロッジに泊まったことがありますが、やはり前の施設と同じようなもの、夜は明かりが無くトイレは手探りでした。
 ウニベルツールさんには申し訳ないが、10数年前のホテルと現在のホテルを比べると雲泥の差があります。かつては個々も人跡未踏の魔境の地であったのですが、10年一昔。この秘境も徐々にではあるが近代的になりつつあります。

 さて、次回はいよいよフィッシングと野鳥の観察です。

ブラジル豆知識

正式な国名は「ブラジル連邦共和国」。
 国土は日本の約23倍、人口は1億6千万人、言語はポルトガル語で、南米大陸の約半分の面積を有し、移民政策により白人、混血、黒人、黄色人のさまざまな人種が住み着いています。
 1500年にポルトガル人が漂着し、先住民を制してポルトガル領を宣言。
 1889年の無血クーデターにより独立し、共和制になりました。その後の移民政策によりブラジルの人口は増えましたが、当初の移民は、母国と同緯度(北緯と南緯の違いはある)のところに住み着き、それぞれの国の文化を今日まで継承しました。そのため、日系人はサンパウロ、ドイツ人は南部、黒人は北部に多いのです。

 広大な国土を有するブラジルの気候は北部と南部の差が激しく、雨季と乾季に大別されています。亜熱帯地域のサンパウロは高地都市のため気温が温暖で、日本の夏にあたる時期のサンパウロは東京の12月の気候です。しかし、北部のアマゾン地域は1年中雨の多い熱帯地です。

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