サルヴァドールの街歩き
 サンパウロから空路約2時間半、リオデジャネイロから約2時間。ポルトガル統治時代は首都として栄え、現在はユネスコの世界文化遺産に指定されている歴史的な街として、多くの旅行者が訪れています。
 そんな世界文化遺産の街 サルヴァドールの魅力を、Ms.久枝がご紹介します
日の出マンション MANSAO SOL NASCENTE
知られざる50年代日本人移民の秘話
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御家族の皆さん。花束を手にしているのが、奥様のドゥースィ夫人。
 少し前になりますが、10月4日、商工会議所で、ある本の出版会がありました。その本は、『MANSAO SOL NASCENTE』(日の出マンション…とでもいうべきでしょうか)。 

 この本は、レナート・ゴンサウヴェス・マルティンス(Renato Goncalves Martins)という人物のバイオグラフィーと言ってもよいかと思います。
 当時、リオ・デジャネイロで国の農林省・国土殖民部で部長をしていた彼は、50年代の日本人移民に大きな役割を果たすことになった人物です。本文の内容のほとんどが、当時新聞に掲載された内容、または大統領への書簡などで構成されています。

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奥様と、出版に携わった、イザベラセーリス氏。
 1908年に始まった日本人のブラジルへの移住ですが、1923年以降は一時停止していました。ブラジル政府の一部に反日本人の気風が漂っていたからです。ところが、そのブラジル政府内の意見を覆したのが、実はこの人物だったのでした。

 本文中、16ページにもおよぶジェトゥーリオ・ヴァルガス大統領への書簡の中で、彼はこう語っています…。

 「わが国の北部・東北部には、人が住んでいない何の生産性もない土地がいくらでもあります。今まで色々やってみたけれど何もうまくいかなかったではないですか。南部で成功している日本人に賭けてみませんか?
 国内の農業生産高が上がり、勤勉で家庭を大切にする日本人の文化は、必ずわが国に良い影響を与えるでしょう」

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日の出マンションにて。レナート氏とお孫さんたち。
 1930年代にブラジル南部、サンパウロ、パラナなどに入植していた日本人コロニーが、ブラジル国内農業生産性の向上に寄与していたため、結果的には1950年代のブラジル北部、東北部への移民も許されることになったのです。
 彼は、後にこの功績を称えられ、日本政府から勲章を授与されたのでした。

 また、以前からクルース・ダス・アウマス(Cruz das Almas)に、バイア連邦大学農学部キャンパスがあることを知っていましたが、それが何と、当初日本人移民の仮住まいだったとは知りませんでした。まだまだ、私達が知らない話があるものですね。

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この場所を題材にした絵画。
 最後に私事で恐縮ですが、私の父も、実は1950年代にブラジルに移民しようかと考えていたうちの一人でした。本当かどうかは知りませんが、母と結婚する前の父が、当時の恋人にブラジルに行かないかと言ったところ、ふられてしまったとか…。
 その時父がブラジルに渡って来ていたら、今頃どんな話になっていたのだろうかと、しばし考えてしまいました。
 


筆者プロフィール

久枝・高橋・サントス
音大卒業後、ピアノ教師に。結婚を機にブラジルに渡る。
現在は、サルバドールの海沿いに暮らし、ピアノや歌、日本語を教えている。

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