南米大陸の旅

公益財団法人 日本民謡協会
ブラジル公式訪問団 参加リポート「ブラジル飛び歩る記」

日本民謡協会 ブラジル公式訪問団参加メンバー

日本民謡協会 ブラジル公式訪問団の参加メンバー(2列目、左から2番目が佐々木淙山先生)

1976年から始まった、日本とブラジル日系移民の方々との民謡による文化交流は41年目を迎えました。

 

ブラジル日本移民110周年を1年後に控えた2017年、7月6日~19日の2週間の日程で日本民謡協会によるブラジル公式訪問団が、現地招へいにより結成されました。

 

訪問団に参加された佐々木淙山先生から、参加リポートをいただきましたので数回にわたって連載いたします。

 

写真提供:サンパウロ新聞社、第20回団員・桑原優氏、ウニベルツール現地スタッフ

※写真の無断転用を禁じます。


<第1回>
成田からブラジルの地へ再び。「フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」で披露


成田から三十二時間、やっと到着したサンパウロ空港で、私だけ手荷物検査が待っていた。
今回は「公益財団法人 日本民謡協会」が、外務省の後援を受け、初めてブラジルに「公式訪問団」としての派遣であった。
 
団長は協会常務理事の金子利夫氏・副団長に協会部長の菊地淡茂氏・団員として福島県から佃光堂氏・熊本県の福島竹峰女史・神奈川県の清野明子嬢・そして私と、北海道から一般参加の山本代富氏を加え、七名のこじんまりした一行である。
七月六日(木)
 
成田発二一時二五分のカタール航空八〇七便は、少し遅れて中継地ドーハに向け離陸した。
 
昨今、米国での出入国の管理は非常に厳しく、和楽器を所持する我々は、検査で損傷を負わされる可能性も考慮し、中東回りのコースが選択された。
 
しかし直前のニュースで、カタールは周辺諸国から政治的圧力を受け、相手国の上空を飛行することができなくなったという。出発が可能か心配したが、カタール側も強気だ。迂回飛行で時間がかかるも、十二時間弱でドーハ到着。ここで、四時間の乗継時間を過ごすこととなった。
 
産油国らしく、新しく立派な空港内を移動すると、場内に無人のモノレールがある。勝手が分からず、添乗員無しの我々一行は、歩いて審査場へ移動した。しかし、何の事は無い。アレに乗って移動すれば良かったのだと後からわかった。当然、次からは利用した。
七月七日(金)
 
ドーハから更に十六時間余の飛行で、現地夕刻にサンパウロに到着。入国審査を経て手荷物を取り移動すると、私のみ別室に誘導され、手荷物を開かされた。
 
通常、海外旅行者は個人の手荷物二個までであるが、今回は外務省の支援もあり、往路のみ三個まで可能となっていた。帰路は二個までであることから、三個目の荷物には、棄ててもよい私の古いカバンを提供。協会が現地日系人に贈る記念品や土産品が詰め込まれていた。虚無僧天蓋箱を含め、私のみ三個だったため、検査となった様だ。
 
自身の荷物の中身は判っている。あまり言葉はわからなくとも、「カバンの中身は何ドルか」と聞いた様だとは分かった。そこで、協会の品々は何が入っているのかよく分からなかったが、「500ドル」と答えると無事解放された。
彼らも「仕事をした振りをしているのかナ?」と考えながらロビーに出ると、皆が心配そうに集まってきた。その後、改めて現地出迎えの歓迎を受け、ホテルへ。
 
七月八日(土)
 
朝食を済ませホテルを出発。まずは、前回(九年前)も参拝したイビラブエラ公園内の「日本移民開拓先没者慰霊碑」に到着。「献花」と私の尺八伴奏で「君が代」を斉唱した。
前回は時間の関係で見られなかった基壇下の礼拝室には、木彫の立派な観音様が安置され、改めて皆で香を手向けた。
 
その後、バスにて今回の目的の一つである「第二〇回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」会場である「サンパウロ・エキスポセンター」に到着。幕張メッセの様な感じだ。
 
早速、広大な会場に入ると、何と「西馬音内音頭」の笛が聞こえてきた。会場を移動中「副舞台」を見ると日系らしい若者が吹いている様だ。
 
さらに進むと「日系団体」や「四十六の県人会」の幟がはためく「郷土食コーナー」がある。計五十三もの屋台が軒を連ね、多くの外人顔の来場者が各屋台に長蛇を成し、「ココハ何処ダ」と思う様な光景が展開していた。
第20回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の風景 ~桜餅~

日本からブラジルに渡った桜の葉で作られた、桜餅。

第20回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の風景 ~郷土食コーナー

「郷土食コーナー」には計五十三もの屋台が軒を連ねており、日系人ばかりではなくブラジル人たちが日本食を楽しんでいた。

第20回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の風景 ~足湯

体験コーナーには、足湯もあり、日本の温泉文化を手軽に紹介している。


「フェスティバル・ド・ジャポン」の第一回は、一九九八年にイビラブエラ公園で二日間に渡り開かれたらしい。当時は領事館の参加は無かったが「日系団体」や「二十七の県人会」が工夫を凝らしたイベントを開催。一万人に満たない人出ながら、一世も未だ多かったこともあり、家族的な雰囲気だったとか。
その後、第九回から現在の会場に移ると三日間で十万人規模となり、第二〇回となる今回は三日間で十七万の人出が見込まれるという。
 
我々一向はさらに進み「主舞台」近くの控室に案内された。用意されていた「和食弁当」を頂くと、中には輪切りにされた大きな焼き鮭が入ってる。なんと、「日本の養殖技術で作られました」とのこと。ここにも日本の技術が生きていた。
 
食後は、サンパウロ在住の移民で、私の小中学校の先輩である、佐々木光躬氏の夫人の手掛かりを得ようと「宮城県人会」の屋台へ行く。すると、折良く佐々木夫人が居られ、夜にホテルで会う約束をして控室に戻った。
 
いよいよ、主舞台での記念式典がスタート。式典では、当地政府関係者や日本大使を始め、祭典関係者の挨拶などがあり、そのまま各団体のアトラクションへ移行した。
我々に与えられた時間は二〇分。日本民謡五曲を披露し、次なるステージの副舞台へ移動した。しかし、せっかく舞台と客席も近い設営であり、もっと観客と一体化するために、踊りも加えたほうが良いと判断。福島女史が即座に「私が踊りに回りましょう」と提案し、彼女は観客に踊りを指導し始めた。観客を巻込みながら九州炭坑節を披露すると、会場は一層盛り上がった。
第20回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り) 日本民謡協会の舞台
フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)でのステージ

フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)でのステージ

一日二回の舞台を終え、ホテルへ戻るとまもなく、佐々木光躬氏夫妻が娘と孫娘や知人を伴い訪れてくれた。
持参した手土産等を渡して日本食レストランで歓談したが、専門学校生の孫娘は日本語の会話がしたかったとか。「こんな爺イで良ければ」と色々な話をして、公演の初日は過ぎていった。

■筆者プロフィール

佐々木淙山 sozan sasaki

 

日本民謡協会全国大会専属伴奏者。民謡および都山流尺八を修行し、尺八歴50年の大ベテラン。

2008年の訪問以来、2度目の訪問。




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