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ボサノヴァ生誕50周年&ジョアン・ジルベルト来日特集vol.1      〜2008.9

リオで開催中のボサノヴァ展の様子(トム・ジョビン+ヴィニシウス)

 今年2008年は、ボサノヴァが1958年に誕生してから50周年を迎え、リオデジャネイロ、サンパウロを中心にたくさんのボサノヴァ・コンサートやボサノヴァ展、講演会、映画の上映などが開催されています。

そのなかで最も話題になったのは、ジョアン・ジルベルトの5年ぶりとなるブラジル公演でした。ボサノヴァの誕生に深く関わった3聖人=アントニオ・カルロス・ジョビン(以下、トム・ジョビン)、ヴィニシウス・ヂ・モラエス、ジョアン・ジルベルトのうち、最初の2聖人は天国に召され、77歳のジョアン・ジルベルトのみが現役で演奏活動をつづけています。彼はブラジルで、ミト(Mito=生きる神話)と呼ばれています。


今回の日本公演ポスター(http://www.joao-concert.jp/)

 ジョアン・ジルベルトは2003年に待望の日本初公演を行い、今年11月には2年ぶり4度目となる来日公演が決定(※)しています。日本ではボサノヴァの神様と呼ばれていますが、神様はどうやら、本国ブラジルより日本の方がだいぶお気に入りのようですね。ブラジル公演はサンパウロ、リオデジャネイロ、サルヴァドールの3都市でしたが、ボサノヴァの生まれ故郷リオデジャネイロでのコンサートはじつに14年ぶりとなりました(ちなみに、神様のお住まいは、リオデジャネイロのレブロン地区にあります)。

今回の現地レポート第1回目では、ボサノヴァが誕生するまで歴史を簡単に紹介しながら、ジョアン・ジルベルトのブラジル公演にまつわるトピックをご紹介したいと思います。

※残念ながら、ジョアン・ジルベルトの健康状態により、東京公演も中止となってしまいました。



ボサノヴァが誕生するまで
“ボサ=傾向、ノヴァ=新しい”という意味のボサノヴァが誕生する以前の1940〜50年代、当時首都だったリオデジャネイロでポピュラーな音楽と言えば、30年代からのラジオ普及とともに広まったサンバやサンバ・カンサォン(ゆったりとしたロマンチック歌謡)でした。庶民の日常を歌ったサンバは、もっぱらゾナ・ノルチ(北区)と呼ばれる下町のカリオカ(リオっ子)に人気でしたが、ゾナ・スル(南区)に住む中上流階級の若者たちは米国から入ってくるジャズを好み、フランク・シナトラやビング・クロスビー、サラ・ヴォーンなどが人気でした。当時、ジョアン・ドナートやジョニー・アルフといったピアニストたちがジャズのハーモニーやリズムを取り入れはじめ、トム・ジョビンもまたナイト・クラブで新しい音楽を模索しながらピアノを弾いてました。
そのような音楽背景をもった1950年、ジョアン・ジルベルトが生まれ故郷の北東部バイーア州からリオデジャネイロにでてきました。5年間、ガロートス・ダ・ルアというヴォーカル・グループに参加しましたが、いい加減な演奏態度のせいで最終的にクビになり、稼ぐあてもなくお金も住む場所もなくなって、ついにリオデジャネイロから姿を消しました。
1958年発売のアルバム2枚

1958年発売のアルバム2枚

 それから放浪の2年間を経て、ジョアン・ジルベルトはボサノヴァの代名詞となるギターのバチーダ(ビート)をひっさげ、リオデジャネイロに戻ってきたのです。彼の演奏スタイルは、中部ミナス・ジェライス州に住む姉の家に居候しながら、そのバスルームに引きこもって完成させたという逸話が有名です。リオデジャネイロのサンバを根底にジャズの影響を受けたハーモニーとリズム、それに独特のささやくような歌い方を調和し完成させたスタイルは、またたく間に新しい音楽を求めていた若者たちを魅了します。そして1958年、ボサノヴァの誕生を意味する歴史的なアルバムが2枚作られました。

 


その少し前に話を戻して、トム・ジョビンヴィニシウス・ヂ・モラエスのことを紹介しましょう。ナイト・クラブでピアノを弾いていたトム・ジョビンは1954年にレコード会社に移り、作曲家として頭角を現しました。そして当時外交官で詩人だったヴィニシウス・ヂ・モラエスと運命的な出会いをします。作曲トム・ジョビン+作詞ヴィニシウス・ヂ・モラエスのコンビは以降たくさんのボサノヴァのスタンダード曲を世に送りだしましたが、1956年に大ヒットしたミュージカル『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(仏映画『黒いオルフェ』の原作)は最初の共作になります。


 1958年、ジョアン・ジルベルトは女性歌手エリゼッチ・カルドーゾのアルバム『カンサォン・ド・アモール・ヂマイス(愛しすぎた者の歌)』で、「シェガ・ヂ・サウダーヂ(想いあふれて)」「オートラ・ヴェス(もう一度)」の2曲をギター伴奏で参加。このアルバムにおいて、初めて、ジョアン・ジルベルトが編み出したボサノヴァ・ギター奏法が録音され聴けるようになりました。そして、そのアルバムのレパートリーがすべて作曲トム・ジョビン+作詞ヴィニシウス・ヂ・モラエスによるもでした。


 その2ヶ月後にトム・ジョビンのアレンジのもと、ジョアン・ジルベルト名義で「シェガ・ヂ・サウダーヂ(想いあふれて)」と自作曲「ビンボン」を録音。この曲で自身のギターに初めてジョアン・ジルベルトの繊細な歌声が加わり、ボサノヴァがこの世に誕生することになったのです。

 ボサノヴァという言葉の名付け親ははっきりしていませんが、ナラ・レオン、カルロス・リラ、ホベルト・メネスカルといったジョアン・ジルベルトに魅了された若手ミュージシャンたちが開催したコンサートの垂れ幕に書かれていたそうです。1958年当時、彼らはまだミュージシャンの卵でしたが、以降学生たちの人気を得ながら一気に花開いたボサノヴァ・シーンを牽引していくことになります。太陽や海、そして愛や恋といったテーマが主に歌詞に託されました。
作曲トム・ジョビン+作詞ヴィニシウス・ヂ・モラエスのコンビは次々と大ヒット作品を生み出し、1962年には不朽の名作「ガロータ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)」が生まれます。この曲は1962年に初アルバム『ラヴ・ミー・ドゥ』を発表したビートルズによる名作「イエスタデイ」に次いで、20世紀にもっとも演奏された曲第2位に記録されています。そして同年、ニューヨークのカーネギー・ホールで歴史的なコンサート『ボサノヴァ(ニュー・ブラジリアン・ジャズ)』が開催されます。客席にはマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーの姿もありました。このコンサートによって、ボサノヴァは国際的な評価を得て、多くのボサノヴァ・アーティストが海外で活躍するようになったのです。


 しかし1964年、ブラジルに軍事独裁政権が樹立されると、次第に勢いを失ったボサノヴァは海外へ亡命的に活動の場を移し、ブラジル国内で再び脚光を浴びるのは1980年代後半になります(次号へつづく)。
ジョアン・ジルベルトのリオデジャネイロ公演トピック

■2008年8月24日 リオデジャネイロ市立劇場(旧国立劇場)

リオデジャネイロ市立劇場でのコンサート (C) www.joaogilberto.net
今回のブラジル公演のためジョアン・ジルベルトは専用ジェット機で一時滞在先のニューヨークからリオデジャネイロ入りしました。6月にはニューヨーク・カーネギーホールで一夜限りのコンサートを行いました。
チケット料金は一番高いボックス席が10万円以上で、一番安い桟敷席は1800円、発売開始わずか40分で売り切れになりました。コンサート当日にはダフ屋から5万円でチケットを購入した日本人ファンもいたそうです。
ジョアン・ジルベルトの遅刻やすっぽかし、公演中にケータイの音に怒って帰ってしまった話などは有名ですが、今回のブラジル公演ですっぽかしはなく、リオデジャネイロ公演は54分遅れでスタート、約1時間45分のコンサートを行いました。
コンサートの様子はグローボ紙にも掲載された
コンサートの最後に満面の笑顔をみせ、その写真はステージで発した「このままリオにいたいよ」という言葉といっしょに、全国紙グローボ(日本の朝日新聞、読売新聞的存在)の一面トップに飾られました。ミュージシャンとして別格の扱いで、ボサノヴァが生まれたリオでの公演が特別であったことの証かも知れません。アンコールでは「シェガ・ヂ・サウダーヂ(想いあふれて)」を観客といっしょに歌いました。
ジョアン・ジルベルトの要望で日本から音響エンジニアと舞台監督が呼ばれ、今回のブラジル公演に同行しました。日本公演の際にいつも担当している方々で、完璧な音響空間を常に求めるジョアン・ジルベルトから絶大な信頼を得ています。
14年ぶりとなったリオデジャネイロ公演には、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、カルリーニョス・ブラウンといった音楽界の大物たちもたくさん来場しました。公演終了後はというと、ジョアン・ジルベルトは楽屋にも寄らず誰にも挨拶せず、ステージからまっすぐ車に移動し自宅に向かいました。
どんなプレスからのインタビューも受けない人間嫌いで有名で、普段はレブロン地区の自宅マンションにこもって外部との接触は電話のみ、食事は高級レストランの出前でという生活を送っています。50年来の知己であるジョアン・ドナートですら、ここ10年間は電話で話すだけとのこと。沈黙を愛するジョアン・ジルベルトは、「静かにして外から聞こえてくる騒音に耳をすますんだ、そうすれば孤独を感じることはない」「他のミュージシャンは外出ばっかしているが、それでどうやって音楽を創造できるのか理解できない」と言っています。やはり、ジョアン・ジルベルトがミト(Mito=生きる神話)だからなのでしょう。
☆ リオデジャネイロ公演演奏曲目
1. Voce Ja Foi a Bahia? (Dorival Caymmi) 11. Nao Vou pra Casa
(Antonio Almeida e Roberto Riberti)
2. Doralice (Dorival Caymmi e Antonio Almeida) 12. Disse Alguem (All of me)
(Gerald Marks e Seymour Simons)
3. Rosa Morena (Dorival Caymmi) 13. Corcovado (Tom Jobim)
4. 13 de Ouro (Herivelto Martins e Marino Pinto) 14. Chove La Fora (Tito Madi)
5. Meditacao (Tom Jobim e Newton Mendonca) 15. O Nosso Olhar (Sergio Ricardo)
6. Preconceito (Wilson Batista e Marino Pinto) 16. Wave (Tom Jobim)
7. Samba do Aviao (Tom Jobim) 17. De Conversa em Conversa
(Haroldo Barbosa e Lucio Alves)
8. Sinfonia do Rio de Janeiro
(Tom Jobim e Billy Blanco)
(Abertura / Hino ao Sol / O Mar)
18. Desafinado (Tom Jobim e Newton Mendonca)
9. Ligia (Tom Jobim e Chico Buarque) 19. Estate (Bruno Martino e Bruno Brighetti)
10. Caminhos Cruzados
(Tom Jobim e Newton Mendonca)
20. Isto Aqui o que E (Ary Barroso)

■著者プロフィール

ひだてつや
リオデジャネイロ在住、音楽や映像に関するフリーライター&コーディネーターとして活動中。
http://malandro.exblog.jp/

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