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2012年07月20日(金)

南米に生きる日本人移住者たち 〜今も残る日系人の存在感〜

7月21日から、ブラジルに渡った日本人移住者たちの歴史の中で、同じ日本人同士の争いを描いた映画『汚れた心』が公開されます(ニュース「ブラジル日系移民社会の事件を描いた映画『汚れた心』が公開」を参照)。

そこで、南米への日本人移住者について、今後少しずつになると思いますが、紹介していきたいと思います。


先週、7月8日、ウニベルツールが交流のお手伝いをした金武町出身者のブラジル移住100周年を祝う式典が、サンパウロ市のブラジル沖縄県人会会館にて開かれました。


日本からのブラジル移住が開始された(移住者を乗せた笠戸丸が神戸港を出発した)のが1908年4月28日。すでに、104年もの月日が経っています。

その後、日本各地からブラジルへ移住が行われ、沖縄県金武町からは1912年に18人が移住したのを皮切りに、約200人がブラジルへ渡りました。


式典の様子が沖縄タイムスに掲載されていますのでご紹介します。
沖縄タイムス 「金武町民移住 感慨の100年」 http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-10_36130



沖縄タイムスのニュースには100歳を迎えた移住者が紹介されていますが、移民政策が行われていたころに移住した日本人たちも、日系5世、6世、7世となり、日本語を話せない人もいらっしゃいます。
それでも、今も、ブラジルには各県出身の人々が集まる県人会があり、日本への郷土愛は深く強いものです。
ちなみに、県人会をまとめる「ブラジル日本都道府県人会連合会」は、サンパウロで毎年20万人近い観光客を集める「日本祭り(Festival do Japao)」を主催しているのです。
AFP BBNews「海を渡った日本文化、日系ブラジル人の「ソフトパワー」に」より)


これほどまでに、深くブラジルに根付いた移住者の方々。それは、ブラジルの未開の地に入って農地へと開拓を進めていき、日本人の勤労さ、粘り強さから、ブラジルの農業に大きな貢献をしたことなどにも由来しています。

今もブラジルに残る日系人の存在感を、サンパウロ新聞から転載します。


 

(サンパウロ新聞より転載 ※文中の「聖市」はサンパウロ市)
■南大河州のセアザ 今も残る日系人の存在感


◆デカセギから戻って継ぐ人も


南大河州リオ・グランデ港に最初の日本人移住者が降り立って今年8月で56年になる。それ以前に他州から移転した人もあるが、同州への正式な移住開始はこの時からとされ、到着日は州議会で「日本民族の日」と定められている。目的の一つだった米作りは順調に行かなかったものの、移住者の多くは蔬菜(そさい)栽培に従事し、南部の人々の食卓を変えてきた。ポルト・アレグレ市のCEASA/RS(州食糧集配センター、以下セアザ)では昔ほどではないながら、日系人が今も存在感を保っている。


同市中心部から約10キロ、隣市カノアスの近くにあるセアザは1973年に開業。
42万平方メートルの敷地に野菜や卵、花、果物など生産物の取引所、卸商などの建物が並ぶ。ここは全国のセアザで唯一生産者が直接販売を行っており、販売量は州内消費の35%を占める。


野菜の取引所に入ると、各生産者の売り場(ボックス)が延々と続き、青々とした野菜の横を荷運び人が行き交う。


「昔は日本人だけで100人くらいいたと思いますよ」と振り返るのは山口八郎さん(73、北海道)。56年に移住後、同州、サンタ・カタリーナ、バイアなど各地で米作りや椰子栽培などに従事、約40年前からカノアスで野菜作りを営む。今も週に3回ボックスに立つ、セアザの日系生産者では最古参の一人だ。「ドイツ系、イタリア系も昔から作っていたけど規模は小さかった。今は機械化されているから、中途半端じゃ農業はできないですね」


日本人による栽培が盛んになる以前、同州で消費されていた野菜はトマト、キャベツ、にんじん、玉ねぎ程度だったという。トマトは聖市から汽車で1週間かけて輸送していたが、その後日本人が作る大玉のトマトが普及、今も「トマテ・ガウーショ」と呼ばれている。



開業以来セアザ内で種・肥料販売店「SEMEPAMPA」を営む今里善大さん(76、宮崎)は東山農場第1回研修生。南へ移って農業、海協連支部での仕事を経て66年に創業した。「知識はあったし、資本がなくてもできた。当時は種屋も少なかった」。聖市の日系商社と縁があり、多い時は週2回バスで買い付けに出聖していたという。


今里さんによれば、以前、市営市場が中心だった時代は半分以上が日本人だったそうだ。「セアザでも主力だった。25年くらい前までは存在感がありましたね」と振り返る。


「金はもうかったけど、商売が嫌いな性分なんでしょうね」と話す今里さん。商売の傍ら、長年作物の成長促進剤の研究を続ける一面も見せる。



セアザ近くで同業の「SEMEAGRO」を営む杉本昭夫さん(69、北海道)も1世。58年の南伯移住者だ。長年の農業から転身して今里さんの店で修行、独立して約 40年。「今店を出している人は知った人ばかり」と話す。


現在、セアザの日系生産者は20〜30人ほど。1世が引退する一方、若い世代は他の仕事に就いたり、デカセギで訪日したままの人もある。そんな中、日本から戻って父の仕事を継ぐ人もいる。


「昨日は280カイシャ(箱)持って来たけど、今日は150。残ると傷むから」と話す府内孝マルセロさん(42)は12年ほど前、十数年暮らした日本から戻った。近郊イタプアンで葉野菜を中心に栽培し、週4日、市に立つ。


現在のセアザは月曜以外は午後からの取引。遠方生産者の輸送への配慮ということだが、その影響もあって販売が伸び悩み、最後は投売りのようになることもあるそうだ。大手のスーパーなどに直接納入する生産者もいる。


生産物が出来過ぎれば値が下がる。悩みも多いだろうが、「知り合いと毎日色々な話ができるし、楽しいですよ」と府内さん。「相場は毎日違うけど、今日捨 てても値段が倍になる時もある。スリルが
あって面白いよ」と息子のビニシウス・ヒロユキ君(10)と並んで笑顔を見せた。


2012年6月29日付
http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/9465/cat/105

 

2012/07/20 13:16 | ブラジル情報 | コメント(0)

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